「小金持ち山」とは
両学長のリベ大では、純金融資産5,000万円を「小金持ち山」と呼んでいます。
野村総合研究所の金融資産ピラミッドで「準富裕層」と呼ばれる水準です。
私は1989年生まれの会社員ですが、登頂することができました。
「小金持ち山登頂」が持つ意味
世間的に言えば「堅実に貯める習慣のある人の証明」といったところでしょうか。
個人的には、小金持ち山登頂を目指して資産形成をしてきたわけではありません。
登頂して手に入るのは、「資産5,000万円を超えた」という事実だけだからです。
登頂の瞬間に、変わるものは何もない
先にも書いたとおり、小金持ち山登頂で手に入るのは「登頂した」という事実だけです。
生活に大きな変化はありません。
同じ家に住み、同じ仕事をして、同じものを食べています。
しかし何も得られないわけではありません。
小金持ち山は登頂した瞬間に何かが変わるわけではありませんが、登頂を目指す過程で人生は大きく変化しています。
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正しい道を進めば、誰でも登頂できる山
ではその過程をどう登るか。
特別な才能も強い意志も必要なく、大切なのはルートを間違えないことだけです。
5,000万円は、学長自身が「誰でも到達できる」と言う水準です。
小金持ち山に登頂して思うのは、インデックス全力が1番楽なルートであること。
インデックスと高配当の二刀流にしたところで坂は緩くなりません。
私の感覚としては、傾斜が同じなのに道のりは長い、遠回りのルートです。
いつでも遠回りのルートに進めるのが、小金持ち山最大の難関かもしれません。
インデックス投資1本に絞ることは、最も楽で確実なルートを選ぶことです。
だから配当はわざわざ選ぶ理由がありません。
やってもいないうちから「取り崩しはストレス」と決めつけていると、小金持ち山はいつまでも「憧れ」のままなかなか近付いてきません。
高配当を足しても、問題は解決しない
仮に取り崩しがストレスだとして、高配当株を買ったところでそれは消えません。
インデックスを持ち続けるのであれば、取り崩しの場面は必ず来ます。
問題は何も解決しないのに、なぜ「インデックスと高配当の二刀流」が勧められるのか。
ここが私にはずっと理解できていません。
「配当には精神的な安心感がある」とも言われます。
一方で、インデックスは「含み益」という目に見える安心があります。
長く続ければ、含み益は暴落でも消えないほど大きく育ちます。
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「小金持ち山」は他人が決めた1つの指標
では、小金持ち山を登頂した先に何があるのか。
あったのは次の山ではありませんでした。
準富裕層の次は富裕層が順当な目標になりそうですが、そこは特に意識していません。
富裕層という他人が決めたラインは、私にとっては意味を持たないからです。
資産形成の目的は、貯めて、使うこと。
金融資産は、自分の望む人生を選ぶための手段にすぎません。
山の高さは他人が決めたもの。
自分がどこへ行きたいか——それさえ見えていれば、小金持ち山にこだわる必要はありません。

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